哲学の道 No.5
 交信を続けます。
 先月の事、ある企業の社内報のインタビューを受けました。
これはその企業と契約した顧客のみに配付される小冊子で、部数も限られた出版物。
新年号に掲載したいとの依頼でしたので、気楽に構えておりました。
何故気楽かと言えば、社内報、新年号と条件がふたつ揃っただけで、「私」を取り扱う
編集者の態度が決まっているからです。まずはその企業に対する「私」の印象、次にそ
の企業に望む事、新年に賭ける夢と将来に対する不安。経験からその程度の取材で、
終了するのが社内報の手順です。手の内を読み切ったつもりで始まる前から退屈して
いましたが、意外にも取材者の第一声は、


「何故、今になって自分の語法を変えようと思われたのですか」


 と、訊かれドキリでした。その取材者、この奇怪な独白のサイトを取材前に検索、
読了の上で話しのネタの振り出しになさったのです。今どき、丁寧な取材をなさる奇特
な方の質問に驚きでした。
 月に一度ほどの書き込みですが、わずかながらも世間ですれ違う人が読んで下さった
事に驚きつつ、嬉しくなりました。
 この取材者も又、激しく哲学的な対話者を必要としている方のようです。恐らくは、
この人も又、人を分かり易く説明する事の困難さを悟られているようです。
「もっと判り合おう」と言う呼び掛けほど虚しいものはありません。その呼び掛けのう
ちに既にいくら話し合っても「決して判りあえない」という絶望がひそんでいます。
何故なら、互いに判り合った事が両者で確認出来る、その術がないからです。
 人は「判り合えない」事を目指して語り合うのであって、「判り合う」為には決して
語り合う事はないのです。そう、思います。
 卑俗な例になりますが、ある女が男に向かって、


「あなたという人がやっと判ったわ」


 と、呟けばこれは理解し合えた愛の言葉ではなく、絶縁の宣言と受け取るのが大人の
語法です。同様に、「判った」という語でさえ二度繰返され、「わかった、わかった」
と返事されれば字義が反転し、「判りたくない」という意味になります。


 中年期後半に私の人生も到り、私はやっと容易ならざる語法の世界に棲んでいる事に
気付いてしまったのです。
 私は私の人生の、過去から現在までの体験を時間の順列に従い並べ、記憶として保持
し、その記憶の総称を「私」であるとして来ました。しかし、出来事の体験が過去から
現在に至るまで時間上に並んでいる記憶そのものが「私」であるすれば、何か人生その
ものが息苦しくなって来るのです。それでは余りにも「私」の存在そのものが単純過ぎ
ます。しかも未来はただの「死」を用意した因果の延長線上のひとつの点になってしま
います。そして、この「死」はいつも他人事の死です。
なぜなら、私は私の「死」を体験出来ないからです。「死」を体験した時には私は死ん
でいるからです。
「死」を思う事が出来るのは、生きている間だけです。永遠に体験出来ない「死」を怯
えているのは、生きている者だけです。これは矛盾です。では、この怯えは誰のものな
のか。それは、「死後」の私ということになります。私に「死」の恐怖を囁き、命の虚
しさ・儚さを呟き続ける者は「死後」の私という架空の存在です。そればかりか、時間
意識の過去・現在・未来という順列を決定している者も又、「死後」の私という架空の
点です。その架空の点を、「死後」の延長線上に置かない限り、私の人生の過去・現在
・未来は一望俯瞰出来ません。
 実は私を私らしく決定づけている者は、「死後」の私という事になります。この架空
の一点、(「死後」の私という仮定)を確かに想像する事が出来ない者に時間の意味
(過去から現在、そして未来へという時間)はありません。
 絵画に於ける遠近法の技術が、この「死後」の私と同じ意味を持ちます。風景画に於
ける遠近法は、水平と垂直が九十度に交わる消失点を仮定する事により平面上に奥行が
表現されます。消失点とは絵画に於いてありふれた技術でありながら、生きることに於
いては真に哲学的技術です。
 風景の中で仮定される水平と垂直のすべての直線は消失点ももって、絵画の遠近を支
配する。しかしその一点は風景画の中に溶け込んで、その名の通りに消え失せることで
遠近を決定する。
「語法の変換」とは将に己の消失点を何処に置くか、という企てそのものです。
「では、」とその取材者は次の質問に進まれました。


「消失点を決定する哲学的探求が、日常のあなたの暮らしに何か役にたつのですか」


 このサイトに電子の糸をからませ、電脳画面に書き残された私の文字を読んで下さる
数少ないあなた方の当然の疑問でしょう。
 この疑問に、ピッタリの応答が内田樹氏の文章にありましので、抜粋・紹介します。


「私たちが忘れがちなのは、私たちが日常生活の中で現に経験している平凡な出来事の
多くは本質的に「謎」であり、・・・(略)普通の人は現実は簡単で、哲学は複雑だと
考えるが実は逆である。
 ハイデッカーが言うとおり、「存在的にもっとも近くて熟知のものは、存在論的には
遠くて認識されていないもの」である。」


 ね、なかなか見事な応答でしょう。つまり、私たちはすでに哲学なのです。しかし、
哲学的にまだ考えていない存在なのです。
 例えば、私には妻と二人の娘がいます。家族でありますから、もっとも側にいて、
熟知の関係です。しかし私の家族は、「わかりあった」関係ではありません。妻は時折、
「あなたという人がわからないわぁ」と皮肉を込めて、ひとりごとを言います。
私はその問いに応えません。お互いにわかりあえる努力をする事は夫婦にとって危険な
応答に生りかねません。「いつかわかり合える」と言う先送りされた応答こそが男女両
者を一対の夫婦に結び付けているのであって、「わかり合えた」男女に夫婦の関係は必
要ありません。何故なら、もう「わかり合う」必要がないからです。
 娘たちはこのわかりにくい父親に真っ直ぐに、「何考えているの」と訊いて来ること
があります。私は、「いつか話してあげる」と即答を避けて、先送りします。そうとし
か応答の術がないのが親子だと思います。「絆」などという単純な単語にまとめられな
いのが家族だと思っています。
 夫婦、あるいは親子という関係の絆は、すでに結ばれた紐の結び目であって、どれほ
ど強く結ばれているかは解く時にしか確かめようないのです。
 つまり家族は哲学的な「謎」であって、認識がとても困難な課題であると覚悟すれば
妻、娘たちの「煙草臭い」「又、呑んで来た」とか「またご飯こぼした」「はやくお風
呂、入りなさいよ」「トイレ、きれいに使ってよ」等の批難に冷静に対処することが出
来るようになるワケです。
 これらの言葉を、慰労の思い無き叱責と聞かず、「あっ、哲学が何か発言している」
と聞けば、口論になる事が暮らしの中から消えます。
 哲学的探求とは、何も難解なことではなく夫婦喧嘩、親子喧嘩を避ける暮らしの知恵
でもあるのです。
「死後の私」あるいは「消失点」については、煙草を一服した後に又、書き込むつもり
です。