哲学の道 No.2
 交信を続けます。
 では、何故私は自分の再構成など企んだのか。
 その理由の最大のモノが「舞台」という仕事でした。それは私が中年期に到って
開始した新しい分野の業務でした。2002年の事です。私にはその仕事に関して、
多少なりともやり抜く自信がありました。「舞台」は初めてでも、お芝居をして唄
を歌うことについては30年近いキャリアを持っています。その点、私には充分過
ぎるほどの体験がありました。02年の段階で、私には油断もスキもなかった筈で
す。
私はその一年前から、身体を絞り、生活も正しました。又、身内スタッフや劇場関
係者とも口論と抗論を交えて「舞台」に備えました。私は「決心」の通りにしっか
り準備した筈でした。
 が、「舞台」が始まるとどうでしょう。
 あれほどの準備が何の役にもたたないのです。お芝居での熱演は凄まじい疲労と
なって蓄積され、唄での熱唱は喉を嗄らさせ、更に体力を絞り取ってゆきました。
私のモチベーション(初心)は急速に回転数を落してゆきました。
 初心を消失させる疲労は強烈でした。筒のように凝り固まった声帯、鞭で打たれ
たようにヒリヒリと痛む背中と腰、寸分も持ち上がらぬ両の足、励ましてもすぐに
滲んでしまう意欲。そして明日を思えば、不安で眠れる深夜の寝床の孤独。これが
初日からわずか3日目の私の有り様でした。何と、この後に未だ21日間の「舞台」
に私は耐えねばならないスケジュールなのです。
 舞台スケジュールは24日間、44公演。一日は11時開演、8時終了の約9時間に及ぶ
芸能労働。私が休める時間は昼食・夕食とも10分が精一杯です。何という過酷さで
しょう。
しかし、この過酷さが私に現実を直視させました。その現実とは、いままでの「私」
ではこの舞台労働に耐えられない事実。その事実は私の「初心」の脆さと鍛えた筈
の「肉体」のひ弱さです。
 私は何もかも間違っていたようです。事実として、私に突きつけられた緊急動議
は「この武田鉄矢では役に立たぬ」という事実です。
 重い事実です。最悪の現実です。
 私は地震で劇場が倒壊する夢をみたり、スタッフに八つ当たりしたり、妻に愚痴
を溢したりもしました。が、それで蓄積された疲労が薄れる筈もなく、無論、公演
日程が楽になる筈もなし。
 残された道はひとつ、私自身を変えることのみ。人生の中年期に到り、私自身の
構造を改革するしかありません。
 疲労は思考や感情・感覚を鈍らせますが、ただひとつ、直感のみ敏感にするよう
です。私は残り21日間の疲労の中で、残された直感を潜水艦のソナーの単音のよう
に辺りに発信しつつ、自助のヒントを探し続けていたようです。
 疲労困ぱいの朦朧とした日々で、ふと目に留まったのが劇場のポスターでした。
襲名披露の為に若手歌舞伎役者が秋の公演で、この劇場に登場するという華やかな
ポスターです。が、私の目は見栄をきる弁慶の睨みにも、「暫」の婆佐羅姿にもゆ
かず、ポスター下の端の公演日程に吸い寄せられました。私より楽をしている奴が
いるという先入感がありました。舞台を職業にして、一年の大半を楽屋で過すこと
など公演日程は楽でなければ、出来る筈はないのですから・・・で、その表を指で
横に辿れば、休日なし、昼夜連続の25日公演。
何というスケジュールか。仰天しました。私を上回る過酷さに歌舞伎役者が耐えて
います。無論、舞台の世界が違い過ぎます。襲名披露の若者と私の年齢差もありま
す。しかし、その差を加味したとしてもその若者が月毎、街を変えて連続で襲名披
露の公演に耐えている事実がその日程に厳然とあります。
「何故、この若者はこの消耗に耐えられるのか」。
 私の中に忽ち「不思議」が生成されました。
 謎は「彼に出来て、何故私に出来ない」。


 その若者はテレビ画面の中にいました。数日後の偶然です。
 疲れ切って、ひとりホテルの部屋にへたり込んでいる私の目に、彼の姿が飛び込
んで来ました。私にはテレビを見る気力さえなく、ただ時計代わりに点けた画面に
彼が現れたのです。
 彼は世間で注目の芸能者でした。襲名披露の話題の人であり、目付きの鋭い女優
との恋の行く末も騒ぎになっていました。
 画面は明日にひかえた初日の為の舞台稽古。歌舞伎界の重鎮居並ぶ中で、その若
者は「暫」の衣装と隈取で所作の指導を父に受けていました。ナレーションが重々
しく伝統の重みについて語っていますが私に興味はありません。画面は花道から、
下ってゆく若者の姿を捉えています。羽織・袴の父は花道の下から、「睨み」のし
ぐさのポイントを繰り返し、見守っています。
 ゆっくりと花道を下りにかかる若者。視線を正面に据えたまま、隈取化粧の為に
表情は隠されていますが、必死に父に質問しています。その必死さが彼の声を上擦
らせています。
「ここはナンバ?」
「そうだ、ここの下がりはナンバだ!」
 ただそれだけの会話でしたが、彼には余程重大な質問だったのでしょう。次に踏
み出した一歩は、その一語に励まされて確信に充ち、次の一歩は自信に充ちていま
した。
「ナンバ」という耳慣れぬ一語が疑問を氷解させたに違いありません。
 それは私にとっても重大な目撃でした。
 歌舞伎は独自の身体操作技術を持っている、とそう直感したのです。早速にその
直感を信じて、「ナンバ」という古語が生きている世界を書物に探す内に辿着いた
のが、甲野善紀の棲む「古武道」世界の身体論だったワケです。
 では、「ナンバ」とは何か。それは嘗ての日本人の歩き方、アスファルト道では
なく、泥道の歩き方と言えば良いでしょうか。氷の上の歩き方と表現すれば良いで
しょうか。腕を振らず、フワリと足を運ぶ。決して、大股で歩こうせず歩幅は足に
任せて、吊られた操り人形のように「歩」を繰り出してゆく。身体操作を言葉で説
明するのは難しいのですが、ただ「ナンバ」を意識するだけで歩きから力みが消え
る事は事実です。そして「ナンバ」と言う語が私にも重大な一語であったのは、こ
の世の中に私の知らない「歩き方」があると言うことです。歌舞伎はそれを知って
おり、私はそれを知らない。それだけの事が舞台に於いて、疲労の差を決定的に分
けているのではないかと直感したのです。そして、甲野善紀を手がかりに芋ズル式
に手繰り寄せたのが内田樹の哲学的武道世界の著作でした。
 内田樹は甲野善紀のまな弟子を名乗る人。合気道の鍛練者でありフランス哲学の
女子大教授。軟派と硬派が入り交じったようなこの人物の文章は難解です。しかし、
堪えて読み進めば鮮やかに逆手を取られ、ねじ伏せられたような文章に出会えます。
以下は私が2004年、大阪・松竹座の舞台で体力不足を呻吟している時、私の胸ぐら
を掴み、私をねじ伏せた内田樹の一文です。


「芸道において、達人の域に達することはきわめて困難である。多くの修行者は
その域に遠く及ばぬうちに生涯を終える。しかし、その至芸の域に達したときの
体感をリアルに想像しえないものは、初心の修業にさえ長く耐えることはできない」


(2回目の交信です。あなたとの交信受付は次回からにします。
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