哲学の道 No.11
 又々、へ理屈を並べます。
 ジッと「腰」という身体の部位の事を考え続けています。ひとつは趣味であるゴルフ
の為です。私はさっぱり飛びません。ドライバーという勇ましい道具を手にしても、私
はひたすら安全にボールを置きに行くプレイを常にしています。
故に、飛びません。恥ずかしいほど飛びません。
 安全を第一とする性格の消極さ、気の弱さが原因です。そして、ゴルフスウィングに
ついての誤解があります。誤解は手で道具を操ろうとして、身体を忘れる点です。
頭で安全を求めますと、使い慣れた手に意識は集中し、手で道具を操ろうとします。
しかしその瞬間、道具に手が操られます。
 手と道具だけでスウィングが終わり、道具は私の都合など知りませんので、自分の
都合だけでボールをヒットして、勝手にボールを叩いて、「嘘?!」と悲鳴を私に上げ
させて、あらぬ方角へ飛ばしてしまう訳です。何度ティーショット地点から、あの広い
ゴルフコースの思いも寄らぬ方角の森影へと落ちてゆく白球を見送ったことか。
そこでシングルと呼ばれる腕前上級者に、真っ直ぐ飛ばすコツを聞くと、「腰で打て」
と来る。これがサッパリ私には解りません。
 打つのは道具で、道具を握っているのは手ですから、腰で打てるワケがない。
この疑問にはまり込んで、何年、いや何十年考え込んで来たことか。
 このブログで、己の身体運用について皆さんと交信している内に、哲学で考える癖が
趣味のゴルフにまで吹きこぼれて来たようです。切っ掛けになったのは、解剖博士の
養老猛先生の本で紹介された、武道研究家、甲野善紀氏の真剣の術理です。
白刃を八双に構えます。刀の束を握りしめ、右耳の上まで振りかぶり、相手に対して斜
め下、袈裟に斬り下ろす。この時、両手で斬り下ろすワケですが、腕だけに渾身の力を
込めてもその威力は100%発揮されないそうです。
 右から左斜め下に、斬り下ろすわけですから腕はその軌道をなぞる為に微調整する。
手のひらの指と「脳」は親密な関係にあります。指先は第二の「脳」と呼ばれるほどで、
「脳」が怯えれば指先は震え、「脳」が強気な時は思わず拳になってテーブルを叩いて、
相手を威嚇したりします。「脳」が関与すると腕・拳の打撃のパワーは必ず減速する。


 理由は「脳」が感情に支配されやすい臓器だからです。
 甲野氏は身体運用に、「脳」を関与させるなと言います。
 では、袈裟で斬り下ろす白刃の打撃をフルパワーで加速させるには・・・やっぱり
「腰」だと甲野氏が言ったそうです。つまり、右上から左下へと斬り下ろそうとするから
剣尖の走りが鈍くなる。いっそのこと、右頭上に構えた剣を真下に全体重で落す。
同時に、左腰を思い切って後ろに引く。
これ、自然界に於ける雪崩の現象と同じ力学だと思い当りました。山のてっぺんから雪
だるまを作って、転がり落す。雪だるまは表層の雪で膨らみつつん傾斜に沿ってスピー
ドを増す。傾斜なりの力学に添うワケです。これは腕に頼る身体運用と同様の力学。
 これに対して甲野氏の身体運用は雪崩の力学です。
 山のてっぺんに降り積った雪は単純に真下に落ちる。同時に山の裾野の雪は真横に飛
び出す。傾斜に添うのではなく、真下に落下するエネルギーと真横に弾き出されるエネ
ルギーを重ねる。すると、一瞬に強大な雪崩になるわけで、転がる雪だるまと雪崩を比
べると、その威力の違いがまざまざとイメージ出来ると思います。
このイメージをゴルフスウィングに更に重ねると、「腰で打て」のアドバイスが納得
出来るような気がしてきたわけです。


 では、「腕」で振らずに「腰」で打つためにはどうするか。これがやってみると解る
のですが、クラブを握った腕をすっかり忘れてしまう事のようです。右頭上まで振り上
げたクラブを、そこから地面のボールに向かって落すだけ。正確に当てよう、などとは
思わず、どうせ狙って当てにいったところで当るわけじゃない。今までも、狙いに行っ
て快心の一打が出たという体験はありません。
 そう、はっきりともう諦めて、握ったクラブに力を入れない。
そのまま、右に移動させた全体重をボールに向かって、落す。
落すと同時に「腰」に意識を灯す。捩じり切った左「腰」の張りを支点にして、真横に
パワーを弾き出す。
 イメージはどこまでも雪崩。兎に角、真下と真横への動きを重ねる。このイメージに
練習を切り換えて、数ヶ月。結果はというと、時折、見たこともない球筋がやっと出る
ようになりました。
 これが年明けのことです。
 快打の体感を身体に記録するように練習をくり返していますが、上体から力が抜け、
腰の上に上半身が乗っている感覚で打てた時、快打が増えるようです。足裏に両脚が乗
り、両脚の膝に大腿部が乗り、大腿部に支えられて腰が乗り、腰に上体が・・・
その結び目が頭で、これらの部位が実はバラバラに存在して、ただダウンスウィングの
一瞬から打撃という行為に向かって協力し、落ちてくる両腕と回転する「腰」の動作を
バケツリレーのように受け取り、受け渡してゆく。私の文字によるイメージが貧相で、
理解しにくければ、イチローのテレビCMを追想して下さい。
 なんのCMか忘れましたが、彼が超スローモーションでバットを振る映像です。
あのCM映像を見て、ハタと思い当ったのですが、彼は身体をバラバラに使っているよ
うな気がするのです。ボールがヒット出来るゾーンに入るなり、彼の身体が風になびく
ススキのように揺れて、そこから体重移動が波が起こるように半身に立ち、ドミノのよ
うに初めは小さな波が全身に連動してゆく。波は連動しつつ、巨大化して、津波のよう
に立ち起こり、津波のてっぺんにバットが握られた両腕が乗って、悠々と下りてくる。
 イチローのスウィングをそのまま真似ることは不可能ですが、身体をバラバラなモノ
としてイメージする真似は出来ます。そのバラバラなモノを連動して使う時、己の何処
にスタート地点を置くか。今までの私は、道具を握りしめた「手のひら」に於いていた
のですが、お蔭でさっぱり進歩がありませんでした。
 では、何処に?
 そのスタート地点を教えてくれたのが、(ゴルフとは何の縁もない人でして)拙宅ま
で通って来てくださる整体師の松尾さんでした。
 ゴルフに興味のない方、もう読み飽きたと呆れられておられるかもしれませんが、
これは哲学の修行です。
このゴルフ話から身体を巡る哲学的命題を提示しますので、次回を待たれよ!